【『中常(なかとこ)』の道を神道となす】
御神酒『中常乃金神(なかとこのこんじん)』の銘の元となったお話です。
江戸時代初期、のちの外宮に代々神主として仕えてきた度會氏、外宮権禰宜 出口延佳(でぐちのぶよし)神主が唱えていた、
“『中常』の道を神道となす”
という所から来ているのです。
「常若」や「中今」といった神道の本質を表現する言葉がありますが、私はそれらのより奥底の本質を捉える言葉がこの『中常』だと感じています。
“中であり、かつ「常(とこ)しなえ」(永久)に立つ”
今から350年前、1672年に日本書紀について講義した出口延佳氏の講述録『神代講述鈔』には、現代語にすると次のように記されています。
『人の代の終わりまで、國常立尊(くにとこたちのみこと)はいらっしゃいます。
すべて天地、山海、草木、人物、器財までも一つの物も、この國常立尊が乗り写っていらっしゃらない、ということはありません。
必ずすべてのものに、この國常立尊が乗り写っていらっしゃるのです。
この理(ことわり)をもって、常立(とこたち)の尊と申し上げるのです。
永久(とこしなえ)に立っていらっしゃるからこそ、世界が終わる時までも日も月も地に落ちません。四季もその順番を違(たが)えません。
人も物も断絶しないのは、この國常立尊のご神徳ではないなどということがありましょうか。
いえ、必ずこの國常立尊のご神徳のお蔭なのです。
永久すなわち、常(とこ)しなえに立つと言うこと。これぞ神道の根本です。
神宮の本紀には、「形は葦牙(あしかび)のようである。其の中に神がお生まれになる。名を天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)と申す」と言っています。
天御『中』主神と國『常』立尊とは、同じ身体で異なる名であるとの慣習があって、“『中常』の道を神道とする”ことの深い意(こころ)があります。
今の外宮の御神は、これなのです。』
いかがでしょうか。
あなたはどう感じられますか?


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